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仙台地方裁判所 平成2年(ワ)230号 判決

原告

橋場京子

工藤良子

右二名訴訟代理人弁護士

佐藤正明

佐々木廣充

右訴訟復代理人弁護士

佐藤由紀子

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

西村康雄

右訴訟代理人弁護士

井関浩

右訴訟代理人

森浩外二名

被告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

松田昌士

右訴訟代理人弁護士

佐藤昭雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告らは、各自、原告らに対し、各金六〇〇万円及びこれに対する昭和六二年三月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  当事者

1 原告

(一) 原告橋場京子

原告橋場京子(以下「原告橋場」という。)は、昭和四五年四月六日、日本国有鉄道東北地方自動車部(以下「東北地方自動車部」という。)に臨時雇用員として採用され、青森自動車営業所(以下「青森営業所」という。)に勤務し、昭和四七年四月に準職員として採用され、同年一〇月に職員として採用されて、青森営業所において、営業係として車掌兼ガイドの仕事に継続して従事してきたが、昭和六一年八月八日、人材活用センターに担務指定され、昭和六二年三月八日まで同センターにおいて主に雑作業に従事していた。

(二) 原告工藤良子

原告工藤良子(以下「原告工藤」という。)は昭和四三年四月六日、東北地方自動車部に臨時雇用員として採用され、青森営業所に勤務し、昭和五〇年五月一日に準職員として採用され、同年一一月一日に職員として採用されて、青森営業所において、営業係として車掌兼ガイドの仕事に継続して従事してきたが、昭和六一年八月八日、人材活用センターに担務指定され、昭和六二年三月八日まで同センターにおいて主に雑作業に従事していた。

(三) 組合関係

原告らはいずれも国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員である。

2 被告

(一) 被告日本国有鉄道清算事業団

被告日本国有鉄道清算事業団(以下「被告清算事業団」という。)は、日本国有鉄道法に基づいて設立され、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法(以下「改革法」という。)、日本国有鉄道清算事業団法により名称が日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)から日本国有鉄道清算事業団に変更された公法人である。

(二) 被告東日本旅客鉄道株式会社

被告東日本旅客鉄道株式会社(以下「被告会社」という。)は、昭和六二年四月一日設立された株式会社であり、改革法に基づき、国鉄が経営している旅客鉄道事業のうち、東日本地域(青森県から静岡県の一部までの一六県をいう。)における事業を承継した。

二  本件転勤命令及び配属通知の発令

1 被告会社を含む承継法人への職員採用手続については、改革法二三条に次のとおり定められていた。

承継会社の設立委員は、国鉄を通じ、その職員に対し、それぞれの承継法人の職員の労働条件及び採用の基準を提示して、職員の募集を行う。(一項)

国鉄は、前項の提示により、その職員に対し、労働条件及び採用の基準が提示されたときは、承継法人の職員となることに関する国鉄の職員の意思を確認し、承継法人別に、その職員となる意思を表示した者の中から当該承継法人に係る同項の採用の基準に従い、その職員となるべき者を選定し、その名簿を作成して設立委員等に提出するものとする。(二項)

前項の名簿に記載された国鉄の職員のうち、設立委員等から採用する旨の通知を受けた者であって、日本国有鉄道法が廃止される昭和六二年四月一日に国鉄職員である者は、承継法人設立の時において当該承継法人の職員として採用される。(三項)

2 原告らは、いずれも被告会社の職員となる意思を表明し、被告会社設立委員会委員長斎藤英四郎から、昭和六二年二月一二日付けの「同年四月一日付で被告会社に採用する」旨の採用通知を受けた。

3 国鉄は、昭和六二年三月九日、東北地方自動車部長名で、原告橋場及び同工藤に対し、いずれも、青森市に所在する青森営業所から盛岡市に所在する沼宮内自動車営業所盛岡支所に転勤させる発令(以下「本件転勤命令」という。)をした。

4 被告会社の設立委員会は、昭和六二年三月一六日、同委員会委員長名で、原告ら採用を決定した者に対し、会社発足後の所属、勤務箇所、職務等についての配属通知をした(以下、原告らに対する配属通知を「本件配属通知」という。)。右配属通知は、昭和六二年三月一〇日までに行われた国鉄の人事異動後の職員の所属、勤務箇所、職名等を、被告会社のそれにそのまま機械的に読み替えたものであった。

5 昭和六二年四月一日、被告会社は、発足と共に「採用並びに勤務指定等について」と題する「昭和六二年四月一日における東日本旅客鉄道株式会社の職員の採用、勤務指定、等級、呼称及び採用給については、別に辞令を発するものを除き、東日本旅客鉄道株式会社設立委員会名の通知のとおり、発令があったものとみなす。」旨の社長通達二号を発した。

この社長通達により、昭和六二年四月一日以降の社員の所属、勤務箇所、職名は、前記配属通知のとおりとされた。したがって、同年四月一日時点の被告会社の社員の所属、勤務箇所、職名等の状況は、国鉄における同年三月三一日の状況と何ら変わらないものであった。

三  本件転勤命令及び本件配属通知の不法行為性

1 不当労働行為

(一) 昭和五六年三月一六日、第二臨時行政調査会が発足して以来、国鉄の分割・民営化へと至る国鉄解体が本格的に開始された。そして、これに一貫して反対する国労に対し、国鉄当局は政府及び自民党と一体となって組織的かつ恒常的に不当労働行為を展開した。

国鉄労使が長年にわたり実施してきた国鉄労働者の労働条件、組合活動上の職場慣行や協定を「ヤミ・カラ・ポカ」のマスコミキャンペーンを利用して、「職場規律の是正」の名の下に処分の強制によって奪い、さらには現場協議制などの諸協定を失効させ、いわゆる「余剰人員」の名の下に、国鉄労働者を雇用不安に陥れて、これに乗じて国労組合員に集中的な本務外し等を強行した。

こうして、昭和六〇年から六一年ころには国鉄の職場は不当労働行為のデパートと化し、国労脱退勧奨、昇給・昇職差別、配転、仕事の取り上げ、その他勤務上の差別、組合掲示板の撤去、組合旗の持ち去りなどの組合活動への支配介入、服装整正の名目により氏名札着用やワッペン外せの執拗な強要、等ありとあらゆる国労攻撃、分断、差別攻撃を展開した。

昭和六一年七月、国鉄当局は、人材活用センターを設置し、国労組合員を集中的に配属し、仕事を取り上げて職場から隔離された施設内に押し込め本来の業務とは全く関係のない単純作業をさせて、国労組合員に対するいやがらせ、みせしめを行った。

改革法は、分割・民営化により承継各法人への職員の移行に際し、国鉄職員を各法人に新たに採用する形式をとったが、採用されなかった者は、国鉄をそのまま引き継ぐ被告清算事業団に所属し、三年以内に再就職先がなければ失業となる、という不採用者にとっては極めて不利なものであった。この採用において、国労組合員は、国鉄分割・民営化に同調する他組合員に比し、不採用者が極めて多く、採用差別の不当労働行為が行われた。そして、国労組合員を要員の関係等で不採用にすることができなかったところでは、承継法人の各職場における国労の影響力を減殺するため、配属上の差別をし、国労組合員を本来的職場から大量に追放した。

被告会社においても、その発足後、国鉄の不当労働行為を引き続き行い、国労及びその組合員に対する不当労働行為を今日まで行っている。

(二) 原告らは、前記のとおり人材活用センターに担務指定され、本来の仕事から外されて雑作業に従事し、「余剰人員」として差別的に取り扱われると共に、国労に所属する職員としてみせしめにされ、国労脱退や退職を強要されたが、これに応じなかった。

国鉄による本件転勤命令及び被告会社設立委員による本件配属通知は、原告らが女性の国労組合員の中心的活動家であることを嫌悪し、原告らを退職させることを目的としてされた不当労働行為であり、不法行為が成立する。

2 性別による差別

東北地方自動車部においては、昭和六一年四月ころから、女性労働者に対し、集中的に退職勧奨が行われるようになり、人材活用センターが設置された直前の同年七月ころには、女性に対する退職勧奨が一層ひどくなった。原告らも、同年四月ころから、青森営業所長から「新会社に女は要らない」などと退職強要を受けるようになり、これを拒んでいたところ、同年八月、人材活用センターに担務指定された。そして、原告らは、人材活用センターに担務指定されてからも、青森営業所長、人材活用センター所長らから、「新会社に女はいらない」等と言われて退職を強要された。

東北地方自動車部においては、男性労働者に対する退職勧奨はほとんど行われておらず、本件転勤命令発令時に配転命令を受けたのはごくわずかであり、原告らに対する本件転勤命令は、女性労働者を差別的に取り扱ったものである。

本件転勤命令は、原告らが退職強要に応じなかったため、女性労働者を排除する意図をもって、原告らを退職させることを目的に行われたものであり、不法行為が成立する。

3 労働契約違反

原告らはいずれも、現地採用であり、転勤を前提とせずに国鉄に採用されたものであるから、原告らと国鉄との間の労働契約上、原告らの勤務場所は青森営業所に限定されていた。

本件転勤命令は、労働契約に違反していることを知りながら、原告らを自宅から通勤の不可能な盛岡営業所に配転したものであり、不法行為が成立する。

4 配転命令権の濫用

(一) 業務上の必要性

(1) 青森営業所について

青森営業所は、唯一の観光路線をもち、昭和六二年当時は、十和田北線に定期観光バス「おいらせ号」を走らせ、積極的な増収施策として貸切事業の拡大を打ち出し、観光路線の充実による増収を企図していた。右のような東北地方自動車部の営業方針の下にあっては、観光バスのサービス向上のためにガイドが必要であることは明白であり、観光路線の充実を増収方針として掲げていた東北地方自動車部においてガイド職である営業係が不要であることなど客観的にあり得なかった。

被告会社は、新会社発足後、青森営業所において、観光バスや貸切バスのガイドとしてガイドクラブからガイドの派遣を受け、平成二年からはガイド職に契約社員を雇用している。観光部門でのサービス向上は、平成二年になってからの方針ではなく、昭和六二年度には自動車営業部の方針として掲げられていたのであり、青森営業所としては特にガイド職は重要であったのであるから、原告らが配転された当時、ガイド職である営業係が実質的に不要とされる状況ではあり得なかった。

青森営業所は、昭和六二年に定期観光バス「おいらせ号」のガイドを廃止し、テープ化しているが、テープ化は、観光部門でのサービス向上という前記の方針に反するものであり、ガイドが乗車しているために評判が良かったことから「おいらせ号」が定期観光路線化された経緯とも矛盾しており、テープ化自体が不自然であり、しかも、テープ化は、原告らを配転させた翌年である昭和六三年には廃止され、再びガイドを乗車させている。このような経緯からすれば、青森営業所は、新会社の発足に観光路線、貸切バスの積極的営業の展開に備え、ガイド職である営業職を必要としていたのであり、テープ化は原告らを配転させるための口実として利用されたと考えざるを得ない。

以上のとおり、本件配転命令当時、青森営業所は、営業係を廃止しなければならない状況にはなく、原告らを配転すべき業務上の必要性はなかった。

(2) 沼宮内自動車営業所盛岡支所について

原告らが配転された沼宮内自動車営業所盛岡支所での仕事は、収入金の出し入れ等の事務であり、その仕事はそれまで臨時雇用員が行っていたものであり、原告らの転勤により、右臨時雇用員は退職させられたものである。国鉄がコスト削減のために臨時雇用員を雇用していたとすれば、低賃金の臨時雇用員を解雇して、臨時雇用員よりは賃金の高い正社員である原告らに臨時雇用員と同じ仕事をさせるということは矛盾しているとしか評価し得ない。

したがって、盛岡支所に、原告らを配転させる業務上の必要性はなかったことは明らかである。

(二) 転勤命令の目的

本件転勤命令は、度重なる退職勧奨に応じなかった原告らに対し、自宅から通勤不可能な勤務地に転勤させることにより、原告らが退職せざるを得なくなることを目的としてなされたものである。

(三) 原告らに生じる不利益

(1) 原告橋場

原告橋場は、本件転勤命令当時、青森駅に勤務する国鉄職員である夫と長女(当時小学三年生)、二女(当時幼稚園児)及び三女(当時三歳)と生活していた。

ところが、本件転勤命令により、原告橋場は、自宅からの通勤は不可能となり、やむを得ず夫及び子供達と別居し、単身で赴任せざるを得なくなった。夫は夜勤を主とする勤務であったため、夫一人では三人の子供を養育することはできず、また、原告橋場の実家に夫も一緒に暮らすことはできなかったため、子供達を原告橋場の両親に預け、夫は官舎に一人で住み、原告橋場は盛岡の官舎に一人で住むことになり、三重生活を強いられることになった。

当時、子供達は、まだ八歳、五歳、三歳と小さかったため、その養育に当たった原告橋場の両親の負担も大きく、また、原告橋場も、子供達が母親が単身赴任することにより精神的に不安定にならないよう、子供達との生活を確保するため、週二回は青森に帰省し、夫の官舎に子供達と泊まるなど、努力を重ねた。

転勤から三年後には、原告橋場の両親が子供達の養育に疲れ、原告橋場に対し、働き続けることをあきらめるよう求めるようになったが、原告橋場は、そのような状況に追い込まれながらも、夫と協力し、夫が夜勤の時には原告橋場が必ず青森に帰ることにして、夫と二人で子供達を養育してきた。

妻であり、母である原告橋場が、夫と子供達を残して単身で赴任すること自体、精神的に極めて大きな苦痛であったが、原告橋場が単身で赴任していた間に家族と共に家庭生活を守るために費やした努力は多大なものであった。

本件配転命令は、原告橋場に対し、以上のような多大な不利益をもたらしたものであった。

(2) 原告工藤

原告工藤は、単身であるが、青森を生活の本拠地として働き、生活してきたものであり、単身であるからこそ、青森で生活の基盤を固める必要性を痛感し、仕事も熱心にすると共に、両親、親戚、友人らとの交流を深めるなど、着々と生活の基盤を固めてきていたのである。

原告工藤は、本件転勤命令により、両親に会いに行くことも時間的、経済的に難しくなり、六六歳、六七歳と高齢の両親の健康への不安を抱く生活を余儀なくされた上、自らも、友人、知人のいない盛岡での不安な生活を強いられたのであり、原告工藤がそれまで培ってきた生活環境から引き離されたことによって被った精神的苦痛は大きかった。

本件転勤命令は、原告工藤に対し、以上のような多大な不利益をもたらしたものであった。

(四) 配転手続の信義則違反

国鉄は、本件転勤命令に当たって、事前に原告らに対し、その意向を確認したこともなく、その後の苦情処理においても、原告らの苦情について原告ら本人に対し調査することもなく、団交において配転の必要性を繰り返したのみであった。自動車営業部では、昭和五七年から、ワンマン化に伴う合理化の中で、国鉄本社と国労本部の間で、労働者本人の同意のある場合には、営業係をレール係に配転するというルールができていたし、管轄外の営業所に出るときには、労働者の同意を得ていたのであり、労働者の意思に反して配転したことはなかった。

特に、青森営業所の営業係については、現地採用であり、青森営業所から他の営業所に配転された例もなかった。

したがって、国鉄としては、異例な本件の配転に際しては、原告らの同意を得るよう努力すべきであり、原告らも青森であれば職場は問わない旨も申し入れていたのであるから、原告らの希望に沿うよう努力した上で配転を行うのが労使関係における信義則に合致しているというべきであり、これに反する一方的な配転命令は、権利の濫用である。

(五) 以上のとおり、本件転勤命令は業務上の必要性がないにもかかわらず発令されたものであり、仮に業務上の必要性があったとしても、不当な目的によるもの、原告らに対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであり、配転手続においても労使関係の信義則に著しく違反するものであって、配転命令権を濫用するものである。

そして、国鉄は、以上の事実を熟知しながら、本件転勤命令を発令したものであるから、不法行為が成立する。

四  被告らの共同不法行為責任

本件転勤命令及び本件配属通知は、以下の理由により、被告らの共同不法行為であるというべきであるから、被告らは原告らに対し、連帯して損害を賠償すべき責任がある。

1 被告会社と国鉄の使用者としての法的一体性

本件転勤命令は、形式的にみれば国鉄が発令したものであるが、

(一) 旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律の附則二条により、設立委員は、会社が設立の時において事業を円滑に開始するために必要な業務を行うことができるとされており、改革法二三条一項は、設立委員が承継法人の職員の労働条件を示すものとし、運輸省令による同法施行規則九条一項一号は、右労働条件の内容となるべき事項として、就業の場所及び従事すべき業務に関する事項と定めているから、被告会社の設立委員は、事業を円滑に開始するため会社設立時の社員の配属・職名等を決定する権限を付与されていること、

(二) 被告会社の設立委員にとっては、会社の設立準備に当たり、国鉄から被告会社への移行時に鉄道輸送業務に支障が生じないようにするためには、昭和六二年四月一日の会社発足時の配属等をあらかじめ決定し、採用決定者に対し事前に通知しておくことが絶対に必要であったこと、

(三) 被告会社を含む国鉄の承継会社の設立委員が、昭和六一年一二月一日に開催した第一回設立委員会で確認した「国鉄改革のスケージュール」によれば、設立委員は採用者を決定した後、さらに配属を決定して、これを国鉄に内示し、内示を受けた国鉄は配転計画を策定して転勤命令をすることになっていたこと、

(四) 独自のスタッフを持たない設立委員が膨大な数の社員の配属、職名等を短期間のうちに検討して決定することは不可能であり、国鉄の全面的な協力なしにはなしとげられなかったこと、

以上の諸点からみれば、被告会社の設立委員は、本来設立委員が行うべき被告会社の職員採用、配属等の作業をその権限と責任のもとに国鉄に代行させたというべきであり、かつ、本件転勤命令は、職員の採用と密接に関連するものであり、改革法二三条五項により、承継法人の職員の採用について当該承継法人の設立委員がした行為として、当該承継法人がした行為とみなされるべきであるから、被告会社と国鉄とは、原告らに対する使用者としては法的に一体のものとして、本件転勤命令を発令したものというべきである。

2 被告会社と国鉄との実体上の連続性

被告会社は、国鉄の事業の一部分を引き継ぎ、事業に必要な施設・債務のすべてを引き継いでいる。また、承継会社の株式については、鉄道会社法附則第五条により、すべて国鉄(昭和六二年四月一日以降は被告清算事業団)の所有するところとなったのである。

昭和六二年四月一日、国鉄の事業を承継する六旅客鉄道会社、一貨物鉄道会社等の一二法人が発足し、事業を開始したが、同日以降の会社の鉄道事業については、当分の間国鉄時代のダイヤにより運行され、同年三月三一日から四月一日にわたる事業の引継ぎの時点においても会社の車両は止まることなく運行し、乗務員等の職員も継続して勤務に就いていた。

会社発足時の役員については、常勤の取締役一六人のうち国鉄出身者が一一人を占め、また、会社の主たる事業である鉄道事業を管轄する鉄道事業本部長に国鉄時代運転局長を努めた山之内秀一郎が就くなど、会社経営の主な役職には国鉄出身者が就いた。

さらに、国鉄の人事、労務を担当した者の多くが承継会社の人事、労務担当の職務に就いた。

一方、運行本部についても、現在運行本部の管轄している地域を管轄していた東京西、同南、同北の各鉄道管理局で人事、労務等を担当していた者が運行本部の同種同等の役職に就いた。

国鉄から被告会社への移行に際しては、株式の所有者、事業内容、事業に必要な施設・資産、役員及び従業員等の人的構成等ほとんどについて同一であり、被告会社は、実体上も国鉄から連続しているのである。

3 不当労働行為性の承継

前記のとおり、国鉄は設立委員のなすべき配属等の作業を代行した一環として、本件転勤命令を発し、設立委員は、これを被告会社における配属に機械的に読みかえる本件配属通知をし、しかも、被告会社は、新会社として発足後数回の人事異動を行いながら、原告らに対しては、その異動についての希望を無視してきたのであるから、被告会社は、国鉄から不当労働行為としての本件転勤命令を引き継いでいるのである。

4 権利濫用性の承継

被告会社における原告らの配属は、本件転勤命令のとおりになったのであるが、被告会社の人事・労務の担当者には、国鉄の人事・労務を担当した者が就任しているのであるから、被告会社は本件転勤命令の権利濫用性を知ってこれを引き継いでいるというべきである。

五  原告らの損害

原告らが本件転勤命令によって受けた不利益は、前記三4(三)のとおりであり、本件勤務命令は、プロのガイドとして、自覚も自負も持って多年にわたり働いてきた原告らの個人の尊厳を著しく傷つけるものであり、原告らが受けた精神的・経済的苦痛は著しく大きい。

原告らの損害を金銭に換算することは極めて困難であるが、あえて慰謝料として評価すれば、金六〇〇万円が相当である。

六  まとめ

よって、原告らは、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として各自六〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年三月九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否及び主張)

(被告清算事業団)

一  請求原因一(当事者)について

1(一) 同1(一)(原告橋場)について

認める。ただし、原告橋場が昭和四七年四月一日に準職員として採用される以前の臨時雇用は、国鉄に採用されることを前提としたものではなく、繁忙期における二か月を限度として雇用されたものである。

(二) 同2(二)(原告工藤)について

認める。ただし、原告工藤を国鉄への採用を前提として臨時雇用員として採用した時期は昭和五〇年四月一三日であり、それ以前の臨時雇用については、原告橋場についてと同様である。

(三) 同3(三)(組合関係)の事実は認める。

2 同2(被告)の事実は認める。

二  同二(本件転勤命令及び配属通知の発令)1ないし4の事実は認め、5の事実は知らない。

三  同三(本件転勤命令及び本件配属通知の不法行為性)について

1 同三1(不当労働行為)(一)のうち、昭和五六年三月一六日第二次臨時行政調査会が発足したこと、昭和五七年一一月三〇日、国労等一部組合との現場協議制についての協約が失効したこと、昭和六一年七月国鉄が人材活用センターを設置したこと、改革法は、分割・民営化による各承継法人への職員の移行に際し、国鉄職員を各法人に新たに採用することとしていたこと、各法人に採用されなかった国鉄職員は、被告清算事業団に所属し、雇用対策の対象者として指定を受けた職員は、再就職のための指導及びあっせんを受けるが、その期間を三年と定めていることは認めるが、その余は争う。(二)のうち、原告らが人材活用センターに担務指定されて、本来の業務以外の作業に従事したことがあることは認めるが、その余は争う。

2 同三2(性別による差別)の事実は否認する。

3 同三3(労働契約違反)の事実は否認する。国鉄と職員との労働契約においては、労働の種類、態様、場所等は特定されておらず、国鉄の就業規則には、業務上必要がある場合に人事上の異動として転勤を命ずる旨が規定されていたものであり、国鉄と原告らとの労働契約は、勤務場所を青森営業所に限定したものではない。

4 同三4(配転命令権の濫用)は争う。

四  同四(被告らの共同不法行為責任)は争う。

五  同五(原告らの損害)は争う。

六  本件転勤命令の正当性

本件転勤命令は、国鉄の分割・民営化に際し、経営の合理的運営のための業務上の必要性のために発令された正当行為であり、何ら違法はない。

1 青森営業所における営業の概要

青森営業所は、昭和四〇年代には、多くの路線バスを運用しており、最も多い時期である同年代初めころには、約一七〇名の職員が業務に従事していたが、ワンマン化という合理化とともに、路線も縮小され、昭和六〇年度においては、十和田北本線と浅虫線の二行路の一般旅客運送事業と臨時免許(運行の都度所轄陸運局長より免許を受ける。)による一般貸切旅客運送事業を行っていたが、職員数は八四名(内女子営業係は六名)と減少していた。

青森営業所の定期バスのワンマン化は、昭和五七年に完了し、その後の女子営業係は臨時免許によって運行する現在に比較すると少ない運行の貸切バスにガイドとして勤務するほかは、国鉄青森駅から青森営業所に旅客を誘導する業務あるいは稀には営業報告書の作成等の仕事に従事していた。青森営業所の女子営業係は、路線内の貸切バスについては、ガイドとして乗務できるのであるが、路線外や県外を運行する貸切バスについては、技量や知識に欠けると共に、乗務意欲もないため、青森営業所は、やむなくこれらの貸切バスについては、従来から民間のバスガイドクラブに外注したガイドを乗務させていた。

青森営業所は、昭和六〇年七月から、十和田観光の繁忙期間中の一〇月まで、一般乗合旅客運送事業ではあるが、パノラマ式という特別の車両二両を使用し、ガイドとして営業係を乗車させる通称定期観光といわれる「おいらせ号」の運行を始めた。「おいらせ号」による定期観光は好評を得て、繁忙期にはパノラマ車二両では足りず、続行便を必要とすることもあったが、このようなときには営業所の他の部署の仕事に従事している職員に臨時に運転をさせたり、外の自動車営業所から助勤を求め、ガイドも予備の営業係を充てるほか、民間のガイドクラブよりガイドの派遣を求めてこの需要に応じてきた。このように、繁忙期は、外部の応援を求めて対処したものの、このような時季は短期間であり、十和田湖方面へのバスの運行が毎年四月一五日から一一月五日までに限定され、冬季間に運休となることから、営業係は三名で十分であると考えられた。

国鉄の経営状態は、その合理化努力等により改善の方向にあったものの、毎年莫大な赤字を計上していたが、自動車営業部門は、マイカーの増大と地方の過疎化の影響を受けて、赤字が増大し、国鉄は、政府等から厳しく要員削減を求められていた。

このような情勢の下において、青森営業所は、昭和六一年度期首において、同営業所の運営上必要度が相対的に低いと考えられた「おいらせ号」のガイド業務を観光案内テープで代替させ、昭和六二年度からはこの業務も廃止することとした。

このような業務体制の変化により、同営業所の営業係の従事する業務は、路線内の貸切バスのガイドが主となるが、青森地方の多雪地帯の路線内の貸切バスは、降雪時にはほとんど需要がなく、女子営業係六名を年中常置させる必要はなくなり、かくして原告らを含む営業係は余剰人員となった。

2 沼宮内自動車営業所盛岡支所の概況

原告らが転勤した沼宮内自動車営業所盛岡支所においては、東北新幹線の盛岡開業後、バス旅客も盛岡駅を起点とする者が多くなったため、昭和五九年四月、国鉄盛岡駅前に職員を在勤させるようになった。昭和六〇年三月から民間会社と共同で青森・弘前間を運行するヨーデル号という高速バスの営業を始めたが、その運賃収入の清算や盛岡駅を起点とする白樺号や十和田湖号の乗客の増加のため、女子の臨時雇用員二名を雇い入れて、これら増加する盛岡駅在勤の業務を担当させた。また、昭和六一年五月には、盛岡在勤を盛岡支所とし、実質的な沼宮内自動車営業所の営業活動の起点を盛岡支所に移して業務を行ってきた。

3 本件転勤命令の正当性

(一) 青森営業所には、バスの運転資格を有しない女子営業係を配置しておくだけの余裕がなく、一方、盛岡支所では、東北新幹線の開業やヨーデル号の開通により業務量が急増したため、在籍の職員では間に合わず、女子臨時雇用員二名をもってこの処理に当たっていたのであるから、ここに青森営業所で不要となった女子営業係を異動させて、その業務に従事してもらうことは、厳しく経営の合理化を要請されており、また、分割・民営化後の健全な企業体に移行させる業務を負う国鉄としては、極めて合理的なことであった。

(二) 昭和六一年四月当時、青森営業所の女子営業係は六人いたが、うち一人は退職前提の休職制度による休職中であり、原告らを除く三人は、昭和六二年初めまでに、同年三月末日に特別給付金の給付を受けて退職する意向を示していて、国鉄を承継する被告会社に採用されることを希望したのは原告ら二名だけであった。したがって、盛岡支所の女子臨時雇用員二名の従事している業務を青森営業所の女子営業係をもって充てるとすると、自ずから原告ら二名ということになる。

(三) 原告工藤は独身であり、青森営業所に勤務中は、市内の民間アパートに居住していた。

原告橋場は、国鉄青森駅に信号係として勤務する夫及び当時小学三年生の長女ら幼児三名とともに青森市内の国鉄の宿舎に居住していた。したがって、原告橋場を盛岡支所に転勤させることは、その家庭生活に困難をともなうことが考えられた。

そこで、東北地方自動車部及び青森営業所は、同原告の夫が岩手県出身であることから、盛岡市付近の国鉄の鉄道関係機関に転勤してもらって、家庭生活に支障がないように計らいたいと考え、夫の転勤の意思を青森駅長を介して照会したところ、夫は、前記子女の昼間の面倒は、同原告の実家の両親がみており、盛岡に転勤すると、このような面倒をみる人が得難いとの理由で転勤の意思がないとのことであり、同原告の転勤によってその子女の養育上不便であるとしても不可能ではないと判断して、東北地方自動車部長は本件転勤命令を発令したのである。

(四) このように、本件転勤命令は、国鉄及びこれを承継する被告会社の経営の合理化に資するための必要上されたものであり、これによって受けるであろう原告らの不利益についても配慮した上でなされたものであり、正当な人事権の行使であって、不法行為と評価されるべきものではない。

(被告会社)

一  請求原因一(当事者)についての認否は、被告清算事業団と同じ。

二  同二(本件転勤命令及び配属通知の発令)の事実は認める。

三  同三(本件転勤命令及び本件配属通知の不法行為性)について

1 請求原因三1(不当労働行為)についての認否は被告会社と同じ。

2 同三2ないし4は争う。

四  同四(被告らの共同不法行為責任)は争う。

1 被告会社は国鉄とは別個の法人であるところ、本件転勤命令は、国鉄が国鉄職員であった原告らに対し、その業務上の必要により、原告らとの労働契約に基づき、その権限と責任においてなしたものであり、被告会社や被告会社の設立委員は何ら関与していない。

国鉄が行った昭和六二年三月九日付の人事異動は、国鉄独自の権限と責任において行われたものであり、改革法二三条所定の採用手続を行う設立委員と何ら関係を有するものでないことは、国鉄改革関連法令の規定に照らし明らかである。設立委員と国鉄との本件具体的関係においては、新会社の社員の人事異動に関しては、関係法令上具体的委託ないし命令の関係はなく、設立委員が配属を決定し、国鉄に内示したり、これを受けて、国鉄が配転計画を策定し、転勤命令を発令した事実は全くない。また、設立委員は、新会社発足までの間において、仮に国鉄が何らかの不当な意思をもって人事異動を行ったとしても、それについて問擬し得る立場になかったことも明らかであり、国鉄による前記人事異動についてその責任を被告会社に帰すべき根拠はない。

2 本件配属通知は、本件転勤命令後の原告らの国鉄における最終的な所属、勤務箇所、職名等が機械的に読み替えられたものであり、本件配属通知により原告らの国鉄や被告会社における地位に何ら変動を及ぼしていないのであるから、被告会社が不法行為責任を負うべき理由は全くない。

五  同五(原告らの損害)は争う。

理由

一  当事者について

1  請求原因一(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

2  本件転勤命令前の組合歴

甲第一一九、第一二四号証、原告橋場、同工藤各本人尋問の結果によれば、原告橋場は、国労に加入し、昭和四七年一〇月国労青森自動車営業所分会婦人部長、昭和五一年四月国労東北自動車支部婦人部常任委員となり、昭和五六年三月から同五八年二月まで国労仙台地方本部常任委員を努めたこと、原告工藤は、昭和五〇年五月国労に加入し、昭和五三年二月から同六二年三月まで国労青森自動車営業所分会婦人部常任委員を務めたことが認められる。

二  本件転勤命令及び配属通知について

1  請求原因二(本件転勤命令及び配属通知)1ないし4の事実は、当事者間に争いがなく、同5の事実は、原告と被告会社間に争いがなく、原告と被告清算事業団との間においても、弁論の全趣旨により認めることができる。

2  本件転勤命令後の経過として、甲第一一九、第一二〇、第一二四号証、乙第四号証、証人小川文男の証言、原告橋場本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  被告会社は、昭和六三年四月一日、バス事業分離施策に伴い、被告会社東北自動車部所管のバス事業部門を、同年三月五日に設立された「ジェイアールバス東北株式会社」(以下「バス会社」という。)に移管(営業譲渡)した。

そして、原告らは、被告会社から、同日付で、バス会社への出向を発令され、バス会社の指揮命令によりバス会社沼宮内自動車営業所盛岡支所(平成二年二月二〇日からは「盛岡支店」となった。)において勤務することになった。

(二)  バス会社は、原告橋場に対し、平成六年六月一六日付で八戸市所在の「八戸旅プラザ」勤務とする転勤発令をし、さらに、平成七年六月二七日付でバス会社青森支店勤務とする転勤発令をし、また、原告工藤に対し、平成七年六月二七日付で八戸市所在の「八戸旅プラザ」勤務とする転勤発令をした。

三  本件転勤命令及び配属通知の不法行為性について

1  国鉄の分割民営化と余剰人員対策の経緯

丙第一、第六、第八号証、第一四号証の一ないし三、第一六号証の一ないし三、証人椎根清の証言によれば、以下の事実が認められる。

(一)  国鉄は、昭和三九年度に欠損を生じて以来、多額の赤字を計上するようになり、様々な再建策が論じられたが、その中で、全国一元の公社から分割・民営化への経営体制の見直しと共に、収入に比して人件費の比率が高いといういわゆる余剰人員の問題が指摘されていた。

(二)  「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法」に基づき昭和五八年六月一〇日に発足した日本国有鉄道再建監理委員会は、昭和六〇年七月二六日、国鉄を分割・民営化し、人員については、私鉄並みの生産性を前提に、国鉄旅客事業の特殊性を加味して、旅客鉄道会社には旅客鉄道部門についての適正規模に二割程度を上乗せした要員(約一九万人)に、その外バス部門等の要員(約一万人)加えた二〇万人程度を妥当とすること等を骨子とした国鉄改革に関する意見を内閣総理大臣に提出した。

内閣は、同月三〇日、右意見を最大限に尊重する旨の閣議決定を行い、同年一〇月一一日、「国鉄改革のための基本方針について」と題する閣議決定を行い、その中で、国鉄は、右意見の趣旨に沿って、新経営形態への移行のため、最大限の要員の合理化を進めるものとした。

(三)  昭和六一年五月、いわゆる国鉄改革関連九法案のうち「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために昭和六一年度において緊急に構ずべき特別措置に関する法律」が国会で成立し、同月三〇日に公布施行され、同法により、昭和六二年三月三一日までに国鉄を退職した職員に対しては国鉄から特別給付金(給与の一〇か月分)が支給されることとなった。

(四)  国会は、昭和六一年一一月二八日、国が被告会社を含む六つの旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社を設立し、地域に応じて国鉄の旅客鉄道事業等を前者に、貨物鉄道事業を後者にそれぞれ引き継がせること、右の引継ぎをしたときは、国鉄を被告清算事業団に移行させ、継承されない資産、債務等の処理するための業務等を行わせるほか、臨時に、その職員の再就職の促進を図るための業務を行わせることなどを骨子とする改革法及びその他国鉄改革に関連する法律を成立させ、これらの法律は、同年一二月四日公布された。

(五)  昭和六二年四月一日、被告会社を含む六つの旅客鉄道会社及び日本貨物鉄道株式会社等が発足し、国鉄の鉄道事業等を承継して事業を開始した。

2  東北地方自動車部の状況

甲第一〇四号証の二、第一一〇ないし第一一二号証、乙第一号証、丙第三号証の一ないし三、第一〇、第一一、第三七号証、証人大倉満、同椎根清、同佐藤俊一及び同佐藤公一、同小川文男の各証言、原告橋場本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  国鉄東北地方自動車部における営業は、昭和四〇年代の数年間がピークの状態で、その後の地域社会におけるいわゆるモータリゼーション化及び人口の過疎化現象の進展のために、旅客は年々減少の一途をたどった。輸送量の推移を昭和四二年度と昭和六一年度とで比較すると、輸送人員が約三〇九七万人から約一七七六万人(約五七%)へ、輸送人キロが約三億二三〇四万人キロから二億三三七一万人キロ(約七二%)へと、いずれも著しい逓減傾向を示していた。

(二)  東北地方自動車部では、右のような事態に対応して、経営の効率化を図るため、バスのワンマン化等の措置を講じ、昭和六〇年三月には乗合バスについてはすべてのバスのワンマン化が達成され、車掌業務がなくなった。

(三)  東北自動車部の経営は、ワンマン化等による合理化や貸切バスによる営業の拡大等の努力にもかかわらず好転せず、昭和六〇年度の損益は、約六八億円の赤字となった。昭和六一年度は、合理化施策の実施の結果、収入は、前年度より低減したが、経費の大幅減のため赤字は約二七億円と改善された。

(四)  東北地方自動車部においては、前記のとおり、分割民営化に向けて要員の合理化が求められていた状況や昭和六一年五月に昭和六二年三月三一日までに退職する職員に特別給付金を支給する法律が制定されたことを受け、女子営業係の多くに退職を勧奨した。

その結果、昭和六一年四月に東北地方自動車部に配属されていた二四名の女子職員(内二三名が営業係、一名が運輸管理係)のうち一七名の女子職員が右希望退職に応じ、残った七名が被告会社の職員となる意思を表明して、被告会社への採用通知を受けたが、そのうち、両川裕子(遠野自動車営業所、運輸管理係)、安部修子(象潟自動車営業所小国支所)を除く原告らを含む五名の女子職員が、昭和六二年三月九日付け転勤命令を受けた。その後、右転勤命令を受けた女子職員のうち、立花愛子と尾形サダは、家庭の事情等から転居を伴う転勤ができないとして、特別給付金が支給される昭和六二年三月三一日に退職し、被告会社に採用されたのは、原告ら及び熊谷礼子の三名となった。

(五)  東北地方自動車部において昭和六二年三月九日付け転勤命令を受けた職員は合計一八名(男一三名、女五名)であり、同月二日に転勤の事前通知を受けた時点で国労組合員であった者は一八名中九名(男六名、女三名、残り九名のうち三名は昭和六二年二月に国労から鉄産労に移籍していた者であるが、転勤の事前通知を受けた後、二名が国労に復帰した。)であった。一八名中の一二名についての転勤は転居を要するものであり、そのうち前記の女性二名と男性一名の三名が同月三一日に退職した。

3  青森営業所における原告らの業務の状況

2で掲げた証拠及び乙第六ないし第一〇号証によれば、次の事実が認められる。

(一)  青森営業所の営業の状況も、東北地方自動車部全体と同様であり、輸送量の推移を昭和四二年度と昭和六一年度とで比較すると、輸送人員が約三二三万人から約一六八万人(約五二%)へ、輸送人キロが約四七四三万人キロから三〇七九万人キロ(約六五%)へと、いずれも著しい逓減傾向を示していた。

また、青森営業所の業務は、十和田湖という観光地を抱え、繁忙期には他の自動車営業所から助勤を求めるなどしたが、十和田湖方面へのバスの運行が毎年四月一五日から一一月五日までに限定され、冬の期間は運転休止という波動性のある業務であった。

(二)  青森営業所においては、昭和五七年にはワンマン化が達成され、そのため、青森営業所において車掌業務に従事していた女子の営業係は、昭和五六年度から五八年度にかけて七名が鉄道管理局勤務を命ぜられて鉄道部門に転出するなどし、昭和六〇年には六名となった。

(三)  ワンマン化がされた後の営業係は、臨時免許によって運行する貸切バスへのガイドとしての乗務、定期便の客が多いために増発される臨時便への車掌としての乗務(東北地方自動車部と国労東北地方自動車支部との協定により、昭和五九年四月一日からは、十和田北線の臨時便もワンマン化が実施され、乗務員以外の者が乗務するときのみ原則としてツーマンとすることとされた。)、冬季における誘導のための乗務のほか、青森駅から青森営業所に旅客を誘導する業務等を行っていた。

(四)  青森営業所では、貸切バスに乗務するガイドについては、営業係のほかに民間のガイドクラブにガイドを外注して乗務させることもあった。これは、路線外や青森県外を運行する貸切バスの場合は、営業係では乗務経験がないために、十分に対応できない等の理由によるものであった。

(五)  青森営業所は、昭和六〇年七月から、十和田観光の繁忙期間中の七月二一日から一〇月三一日までの間、一般乗合旅行運送事業ではあるが、パノラマ車二両を使用し、ガイドとして営業係を乗車させる通称定期観光といわれる「おいらせ号」の運行を始めた。「おいらせ号」は、繁忙期には二両とも運行したが、青森営業所では、「おいらせ号」の運行に必要な営業係は、車両一両につき一名、予備一名の合計三名で足りると考えていた。

(六)  青森営業所は、昭和六一年度中において、東北地方自動車部との協議の上、昭和六二年度からは「おいらせ号」のガイド業務をテープレコーダーによる案内で代替し、営業係の行っていた部内業務も、必要なときにバスを運転できる免許を有する男子職員をもって充てることとし、女子営業係の配置を廃止するとの方針を決めた。

(七)  青森営業所の営業係の昭和六〇年六月から昭和六一年三月までの一〇か月間の勤務実績をみると、原告橋場の場合、乗務日は合計七一日で、その内訳は、貸切バスへの乗務が三六日、定期観光バスへの乗務が二〇日、冬季の誘導の乗務が一四日、その他が一日であり、原告工藤の場合、乗務日は合計七二日で、その内訳は、貸切バスへの乗務が三九日、定期観光バスへの乗務が二二日、誘導の乗務が一〇日、その他が一日である。他の四名の営業係のうち一名は勤務がかなり少ないが、三名は原告らとほぼ同様の勤務実績である。

貸切バスへの乗務は、時期的にみると、六月、七月は比較的多いが、それ以外の月はかなり少ない。

(八)  青森営業所では、昭和六一年四月ころから、女子営業係に対し、退職を勧奨した。

その当時、六名の営業係のうち一名は退職前提の休職制度による休職中であり、残りの五名のうち原告らを除く三名は、退職勧奨を受けた結果、昭和六二年初めまでには、同年三月末日に特別給付金の支給を受けて退職する意向を示していた。

(九)  原告らは、昭和六一年八月八日、人材活用センターに担務指定された。青森営業所の女子営業係の内、人材活用センターへの担務指定を受けたのは、原告らのみであった。

原告らは、退職勧奨に応じず、被告会社の職員となる意思を表明し、昭和六二年二月に採用通知を受けた。

4  沼宮内自動車営業所盛岡支所の状況

乙第一号証、第四号証、丙第一一号証、証人佐藤俊一、同佐藤公一及び同椎根清の各証言によれば、以下の事実が認められる。

(一)  国鉄東北地方自動車部沼宮内営業所は、昭和一四年設置され、運用路線の変遷を経てきたが、昭和六〇年ころには、主として平館線、沼宮内線、手庭高原線(白樺号)、小鳥谷線及び十和田湖南線(十和田湖号)等のバス路線及び貸切バス事業を行っていた。

(二)  東北地方自動車部は、昭和五七年に国鉄の東北新幹線盛岡駅が開業した後、盛岡市におけるバス需要が増大したことから、昭和五九年四月、沼宮内自動車営業所に盛岡在勤を設置して、国鉄盛岡駅前に職員を在勤させ、これらの業務に当たらせた。昭和六〇年三月からは、民間企業の岩手県北自動車、弘南バス及び岩手県交通の各社と共同で盛岡・弘前間を運行するヨーデル号という高速バスの営業を始め、業務が増えたことから、女子の臨時雇用員一名を雇い入れ、同年七月にはヨーデル号の運賃収入の運行四社間での清算も国鉄で行うようになったことから、更に女子の臨時雇用員一名を雇い入れた。そして、二名の臨時雇用員のうち一名をヨーデル号の運賃の清算業務に充て、もう一名を白樺号、十和田湖号の売上金の集計の業務に充てていた。

そして、昭和六一年五月には、盛岡在勤を盛岡支所とし、以後は盛岡支所が、名称としては支所ではあるが、実質的には沼宮内自動車営業所の営業活動の拠点として業務を行ってきた。

(三)  本件転勤命令により原告らが盛岡支所に着任したため、盛岡支所の右臨時雇用員二名は、昭和六二年三月末日及び同年四月に退職した。

四  本件転勤命令の不法行為性

原告らは、国鉄による本件転勤命令が、不当労働行為、性別による差別、労働契約違反、配転命令権の濫用であり、不法行為であると主張するので、以上の認定事実をもとに、労働契約違反、配転命令権の濫用、性別による差別、不当労働行為の主張の順に検討する。

1  労働契約違反

(一)  丙第三六号証によれば、国鉄の就業規則は、人事異動につき、次のように定めていたことが認められる。

「一八条、職員の人事上の異動(転勤、転職、昇職、降職、昇格、降格、昇給、降給、休職、復職、派遣、休業、復業、退職及び免職)については、所属長又はその委任を受けた者が行う。ただし、総裁が採用を決定した大学卒業者の免職を除く。

一九条 業務上必要ある場合は、職員に人事上の異動を命ずる。職員は、正当な理由なくして、前項の人事上の異動を拒むことはできない。」

(二)  原告橋場本人尋問の結果によれば、原告橋場は、季節臨時雇用員として採用されるに際して採用試験を受け、昭和四六年冬には正職員として採用されるために試験を受けたが、他の営業所の受験者は仙台で受験したのに、原告橋場らは青森営業所の受験者は青森で試験を受け、面接の際にも、他の営業所への転勤の可否を問われたことはなかったことが認められる。

原告工藤本人尋問の結果によれば、原告工藤も、昭和五〇年に正職員として採用されるに当たって、他の営業所への転勤のあることについての説明を受けなかったことが認められる。

しかしながら、前記認定の事実によれば、原告らが採用された当時は、青森営業所から営業係の職員を外に転勤させるという必要性が生じるような状況がなかったものと認められ、原告らが採用された際に転勤について問われなかったのもそのような状況を前提にするものであり、国鉄に前記のような内容の就業規則が存在する以上、原告らもその適用を受けるものというべきであるから、前記のような事実があったからといって、原告らと国鉄との労働契約において、就労場所が青森営業所に限定されていたとみることはできない。

したがって、原告らの主張は理由がない。

2  配転命令権の濫用

(一)  本件転勤命令の業務上の必要性

(1) 前記認定の事実によれば、原告らが勤務していた青森営業所においては、ワンマン化により車掌業務がなくなったこと、昭和六〇年度から運行していた「おいらせ号」のガイド業務についても、昭和六二年度からはテープレコーダーによる案内で代替し、営業係の配置を廃止する方針が決定していたことから、営業係が余剰人員となっていたことが認められる。

原告らは、東北地方自動車部は、観光部門でのサービス向上を方針として掲げていたのであり、本件転勤命令当時、ガイド職である営業係が実質的に不要とされる状況ではなかった等と主張する。

前記認定のとおり、原告らは、貸切バスにもガイドとして乗務していたものであり、青森営業所では当時から民間のガイドクラブから外注ガイドの派遣を受けていたものであって、乙第一号証、丙第三七号証、証人小川文男の証言によれば、青森営業所は、昭和六二年三月一三日に貸切免許(三両)を取得し、その後バス会社になってから、免許両数も拡大し、平成元年からは一年契約の契約社員を雇用してガイド職に充てていることが認められるから、原告らを青森営業所から配転させなかったとしても、原告らが従事することのできるガイドの職務が将来的に全くなかったわけではないとはいえるものの、原告らが貸切バスに乗務していた日数が前記のとおりの状況であり、六月、七月を除くと需要がかなり少ないことからすると、営業係の配置を廃止し、ガイド業務については、外注ガイドないしは契約社員でまかなうとの方策は、経営の効率化という観点からは合理的なものと認めることができる。

原告らは、「おいらせ号」のガイド業務を昭和六二年度からテープレコーダーによる案内で代替するというのは、原告らを転勤させるための口実であるとも主張し、甲第一一九号証、証人椎根清、同小川文男の各証言によれば、バス会社は、女子二名の契約社員を平成元年度から「おいらせ号」にガイドとして乗務させるようにしたことが認められるが(原告橋場は、昭和六三年度には「おいらせ号」にガイドが乗務していたと供述しているが、契約社員がガイドとして乗務するようになったのは平成元年度からと認められ、昭和六三年度に外注ガイドが乗務していたのかは証拠上明らかではない。)、昭和六二年度はテープレコーダーによる案内で実際に運行したものであるから、それが原告らを転勤させるための単なる口実にすぎないとは推認し難い。

(2) 一方、前記認定の事実によれば、盛岡支所では、女子臨時雇用員二名を使用して業務の処理に当たっていたことが認められ、当時国鉄は、厳しく経営の合理化を要請されており、分割・民営化を控え健全な企業体に移行させる要請があったことからすると、青森営業所に営業係として勤務していた原告らを盛岡支所に異動させて、その業務に従事させる必要性があったということができる。

原告らは、盛岡支所には、本件転勤後に原告らが従事する業務に臨時雇用員二名が従事していたから、原告らを転勤させる必要がなかった旨主張する。しかしながら、盛岡支所において原告らが従事すべき業務に臨時雇用員二名が従事していたことから、原告らを右業務に充てなくても盛岡支所の業務には差し当たりは支障は生じないとしても、臨時雇用員を退職させて、その業務に余剰人員となっていた正職員を充てることは、企業経営の観点からみて合理性があるものというべきであるから、原告らの主張は理由がない。

(二)  本件転勤命令による原告らの不利益

(1) 原告橋場

甲第一一九号証、原告橋場本人尋問の結果によれば、本件転勤命令発令当時、原告橋場は、青森駅勤務の国鉄職員の夫、小学校三年生の長女、五歳の次女、三歳の三女と青森市内の国鉄宿舎で生活していたが、本件転勤命令によって、そこから盛岡に通勤することは極めて困難であったため、結局、原告橋場は盛岡に単身赴任し、夫は青森の宿舎に住み、三人の子供は宿舎から三〇分ほどの所にある原告橋場の両親の家で生活するという生活を余儀なくされたこと、原告橋場は、単身赴任中、子供達との生活を確保するため、週末に青森に帰るほか、月曜日から金曜日までの間にも二回程度は青森に帰るようにしていたこと、三年後からは、原告橋場の両親が子供達の養育の負担に耐えられなくなったため、夫と二人で子供達を養育し、夫が夜勤のときには必ず青森に帰ることとし、夫と二人で子供達を養育してきたことが認められ、本件転勤命令は原告橋場に対し家庭生活上大きな不利益をもたらしたものと認められる。

他方、丙第一一号証、証人椎根清及び同佐藤俊一の各証言によれば、東北地方自動車部では、原告橋場の夫に対し、本件転勤命令発令前に、その上司を通じて、盛岡市付近の国鉄の鉄道関係機関に転勤する意思の有無を照会したところ、同人は、原告橋場の実家の両親が日中は子供達の面倒をみており、盛岡に勤務すると、日中に子供達の面倒をみる人が得難いとの理由で転勤の意思がない旨の回答をしたこと、東北地方自動車部総務課長の椎根清は、原告橋場に対し、本件転勤命令発令後の昭和六二年三月三〇日、原告橋場の夫に盛岡へ転勤する意思があるならば、盛岡鉄道管理局への橋渡しの労を取ることはやぶさかでない旨を伝えたことが認められ、原告橋場に生じる家庭生活上の困難の解消ないし軽減に配慮をしたものと認められる。

(2) 原告工藤

甲第一二四号証、原告工藤本人尋問の結果によれば、本件転勤命令発令当時、原告工藤は、独身で、青森市内の民間アパートに居住していたこと、本件転勤命令によって、青森県内に住む両親に会いに行くことが以前より難しくなったことが認められる。

(三)  以上によれば、原告らに対する本件転勤命令は、業務上の必要性を有するものであるということができる。

そして、原告工藤については、本件の転勤が原告工藤に与える生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のものというべきである。

原告橋場についてみると、同原告の家族状況に照らせば、本件の転勤は同原告の家庭生活に対し大きな不利益をもたらすものであり、現実に同原告が幼い子供達との交流を確保し、家庭生活を守るために費やした努力及び精神的、経済的負担は多大なものであったと認められる。しかし、共働きの夫婦の一方に転居を伴う転勤の必要が生じ、ことに夫婦間に未成熟の子があるような場合には、どのようにして家庭生活を維持し、子を養育していくかについて深刻な問題を生じざるを得ないが、そうであるからといって、家族の別居生活をもたらす転勤命令、あるいは未成熟の子を持つ母親である女子労働者に対する転勤命令が直ちに配転命令権の濫用になるともいえないのであって、原告橋場の場合は、本件転勤命令時においては、同原告の両親の援助により子供達の養育をしていくことが可能であり、また、青森と盛岡は隣県であり、その間の距離及び交通事情からすれば、経済的負担を伴うものの、同原告が相当回数青森に帰省することは可能であり、子供達に会うことが極めて困難になるものではないから、本件の転勤が原告橋場に与える生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度を著しく超えるものであるとまではいえない。

(四)  原告らは、本件転勤命令は原告らを退職させるという不当な目的をもってなされたものであると主張する。

前記認定の事実によれば、原告らは、昭和六一年四月ころからたびたび退職勧奨を受けていたことが認められるが、国鉄は多数の余剰人員を抱え、日本国有鉄道再建監理委員会は、承継法人のうち旅客鉄道会社の要員は二〇万人程度を妥当とすること等を骨子とした国鉄改革に関する意見を出し、内閣は、右意見の趣旨に沿って、最大限の要員の合理化を進めるものとし、昭和六一年五月には、昭和六二年三月三一日までに退職した職員に対し特別給付金を給付する旨の法律が制定されていたものであって、国鉄においては分割・民営化を控えて余剰人員を削減することが急務とされていたものであるから、青森営業所において原告らに対したびたび退職を勧奨したことが不当であるということはできない。

また、本件の転勤が原告らに対し前記のような不利益をもたらすものであり、東北地方自動車部において昭和六二年三月九日付け転勤命令を受けた五名の女子職員のうち二名は、転勤命令を受けた後、転勤はできないとして退職したことからすれば、原告らが本件転勤命令を受けたことによって国鉄を退職するとの選択をすることもあり得るであろうことは客観的にみても予測されるものであるが、前記のとおり、本件転勤命令は、業務上の必要性が認められるものであり、また、東北地方自動車部では、原告橋場の夫に対し盛岡転勤の意向を確認したことも認められるから、本件転勤命令が原告らを退職させるという不当な目的をもってなされたと認めることはできない。

(五)  原告らは、本件転勤命令は、その手続においても労使関係の信義則に著しく違反するものであると主張し、原告ら各本人尋問の結果によれば、原告らは、昭和六二年三月二日に本件転勤命令の事前通知を受けたが、それ以前に転勤についての意向の打診を受けたことはなかったことが認められるが、国鉄の就業規則では、業務上の必要がある場合は、職員に転勤を含む人事上の異動を命ずることができるとされており、国鉄は、個別的な同意がなくても転勤を命ずる権限を有するものであるから、事前に原告らに転勤についての意向の打診をせず、原告らの同意なくして本件転勤命令を発令したからといって、直ちに配転命令権を濫用するものとはいえない。

(六) 以上によれば、原告らに対する本件転勤命令が国鉄の配転命令権の濫用であるとの原告らの主張は採用できない。

3  性別による差別について

前記認定の事実のとおり、青森営業所においては車掌兼ガイドの業務に従事してきた女子営業係が余剰人員となっていたものであり、東北地方自動車部において昭和六二年三月九日付け転勤命令を受けた一八名の中には男子職員も一三名含まれていたこと、右転勤命令を受けなかった女子職員もいたことからすれば、原告らに対する本件転勤命令が原告らが女性であること自体を理由としてなされたものとは認められず、性別による差別であるということはできない。

4  不当労働行為について

原告らは、本件転勤命令は原告らが国労の組合員であることを理由としてなされたものであり、不当労働行為であると主張するが、前記のとおり、本件転勤命令は、配転命令権の正当な行使としてなされたものと認められ、不当労働行為意思に基づくものと認めることはできない。

5  以上によれば、本件転勤命令が原告らに対する不法行為であるとの原告らの主張は、理由がない。

六  被告会社の責任について

前記のとおり、本件配属通知は、被告会社の設立委員がしたものであるから、改革法二三条五項により被告会社のした行為とされるが、本件配属通知は、国鉄における本件転勤命令による異動後の勤務箇所、職名等を被告会社におけるそれに機械的に読み替えて通知したに過ぎないものである。したがって、本件転勤命令が不法行為であるということができない以上、被告会社が本件転勤命令につき被告清算事業団と共同不法行為責任を負うとか、被告会社がしたとされる本件配属通知が原告らに対する不法行為であるとの原告らの主張は、その前提を欠き、その余の点を検討するまでもなく、理由がない。

七  結論

以上検討したところによれば、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石井彦壽 裁判官峯俊之 裁判官前澤功は、転勤のため、署名押印することができない。裁判長裁判官石井彦壽)

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